〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉

〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉1 広布に走れ 2018年6月23日 「我と我が友よ」と心一つに

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「我と我が友よ」と心一つに
 
1978年6月30日、学生部結成21周年記念の幹部会で、池田先生が“世紀の勇者”たる創価の英才たちに万感の期待を寄せる。この日、学生部歌「広布に走れ」が電撃的に発表された(東京・荒川文化会館で)

 広布の前進には、歌がある。歌うたび、金の思い出がよみがえり、未来への限りない希望を湧き立たせる歌が、同志の胸に響いている。連載「歌声高く」では、本年、誕生40周年を迎える学会歌を紹介する。
 ♬ ♪ ♬ 
 若人たちがスクラムを組み、右に左に、大きく揺れた。清新な歌声を響かせながら。
  
 〽広き曠野に
  我等は立てり
  万里めざして
  白馬も堂々……
  
 今月2日、千葉で行われた本部幹部会。男女学生部の代表が歌い上げたのは、「広布に走れ」であった。それに和する会場の壮年・婦人たちの声も、次第に力強さを増していく。
 40年前に「学生部歌」として誕生して以来、学生部のみならず学会の全同志に愛唱されてきた。「永遠に歌い継がれる歌を」との思いで、歌詞を幾たびも推敲し、自ら作曲まで手掛けた池田先生の魂が、凝縮した一曲である。
 先のスクラムと合唱は、「広布に走れ」が発表された40年前の光景とそのまま重なる。
 1978年(昭和53年)6月30日、東京・荒川文化会館で行われた学生部結成21周年記念幹部会で、「新学生部歌」誕生の喜びに湧く創価の学徒が肩を組み、声の限りに合唱したのだ。
  
 〽我と我が友よ
  広布に走れ……
  
 ――当時のある学生部リーダーは、こう振り返る。
 「『我と我が友よ』との一節に胸が震えました。その場にいた誰もが同じ感動と決意を分かち合い、心を一つにしたのです。池田先生から『私と君よ!』と呼び掛けていただいた。師は走る。ならば弟子も、力の限り広布に走ろう!と」
 第1次宗門事件の渦中である。重苦しい空気が学会を包む中、それを決然と吹き飛ばす熱と力が、ほとばしった。「広布に走れ」の合唱が轟きわたること、実に12回。「歴史を創るは この船たしか」と、創価の師弟の大船は、嵐の海へ敢然と船出したのだ。
 なぜこの時、池田先生は歌を作ったのか――その真情が小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に、つづられている。
 「大事なことは、どんな事態になろうとも、広布の使命に生き抜く本当の師子を育てることだ。そのために、皆の心を鼓舞できる魂の歌を作りたいんだ」
 今、6・30「学生部結成記念日」を目指し、全国のあの地この地で創価の英才たちが躍動している。
 「知勇の師子よ、福智の乙女よ、使命の舞台で広布に走れ!」との師の心を胸に、誓いの歌声も高く。

MEMO

 小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、「広布に走れ」が誕生した経緯とともに、作詞・作曲を手掛けた池田先生の真情が詳細につづられている。また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で「広布に走れ」のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。

1978年6月30日、学生部結成21周年記念の幹部会で、池田先生が“世紀の勇者”たる創価の英才たちに万感の期待を寄せる。この日、学生部歌「広布に走れ」が電撃的に発表された(東京・荒川文化会館で)