法悟空 内田健一郎 画 (6395)
山本伸一は、東西冷戦終結後の新たな平和の構築を展望し、行動した。一九九一年(平成三年)四月には、教育・文化交流のため、フィリピン大学を訪問。経営学部の卒業式に出席し、「平和とビジネス」と題して記念講演した。この日、伸一に、同大学から、名誉法学博士号が贈られている。
六月初旬からは、ヨーロッパを回り、ドイツに続いて、ルクセンブルクを初訪問し、フランス、イギリスを歴訪。それぞれの国で、文化交流を重ねる一方、国家指導者や識者と会談した。九月下旬から十月初旬にかけては、北米を訪れ、九月二十六日、ハーバード大学で、「ソフト・パワーの時代と哲学――新たな日米関係を開くために」と題して記念講演を行った。
また、日本国内を東奔西走し、宝友の励ましに心血を注いでいった。
今回の第二次宗門事件では、同志は陰険にして姑息な宗門の謀略を冷静に見抜き、破邪顕正の情熱をたぎらせて、敢然と戦った。
伸一は、会長を辞任した、あの第一次宗門事件の折、もう一度、広宣流布の使命に生き抜く師弟の絆で結ばれた、強靱な創価学会を創ろうと、同志一人ひとりに徹して光を当ててきた。個人指導、家庭訪問、小グループでの対話、懇談、さらに、さまざまな会合にも足を運び、激励を続けた。
食事も、できるだけ皆と共にし、語らいのための時間とした。また、寸暇を惜しんで、句や和歌を詠み、色紙や書籍に揮毫して贈るなど、励ましに励ましを重ねてきた。
彼は、同志の成長のため、幸せのために、生命を削る覚悟で動き、働いた。“皆が一人立つ勇者になってほしい”と、広宣流布の魂を注ぐことに必死であった。
そのなかで後継の青年たちも見事に育ち、いかなる烈風にも微動だにしない、金剛不壊の師弟の絆で結ばれた、大創価城が築かれていったのである。しかも、その師弟の精神は、広く世界の同志の心を結んでいった。
命をかけた行動に、魂は共鳴する。