小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 六十四 2018年6月9日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6394)

 学会は、総本山整備にも、最大の力を注いできた。戸田第二代会長の時代には、奉安殿、大講堂を建立寄進し、山本伸一が第三代会長に就任してからは大坊、大客殿、正本堂をはじめ、総門、宿坊施設など、総本山の建物や施設を寄進した。
 総本山所有の土地も、農地改革直後は、わずか五万一千余坪にすぎなかったが、かつての二十三倍の百十七万余坪になった。その土地も、大半が学会からの寄進であった。こうした長年の外護の赤誠に対しても、学会員の真心の御供養に対しても、登山会の無事故の運営のために、止暇断眠して挺身した青年たちの苦労に対しても、一言のあいさつも感謝もなく、添書登山が始まったのである。
 一九九一年(平成三年)の七月、宗門は学会を辞めさせて寺の檀徒にする「檀徒づくり」を、公式方針として発表した。
 仏法上、最も重罪となる五逆罪の一つに、仏の教団を分裂混乱させる「破和合僧」がある。彼らは、現実に広宣流布を推進してきた仏意仏勅の団体である、創価学会の組織の本格的な切り崩しに踏み切り、この大重罪を犯したのだ。それは、供養を取るだけ取って切り捨てるという、冷酷、卑劣な所行であった。
 また、宗門は、大聖人の教えと異なる「法主信仰」の邪義を立て、法主を頂点とした衣の権威によって、信徒を支配しようと画策していった。
 しかし、その悪らつさと、時代錯誤の体質は、既に学会員から見破られていたのだ。
 九月には、二年前の八九年(同元年)七月、日顕が、先祖代々の墓を福島市にある禅宗寺院の墓地内に建立し、開眼法要を行っていたことが明らかになった。さんざん学会を謗法だなどと言っておきながら、こんなことまでやっていたのかと、皆が呆れ果てたのである。
 また、宗門の数々の腐敗堕落の実態も、次々と知られるようになっていった。
 これでは、もはや、日蓮大聖人の仏法ではない。日興上人の御精神は途絶え、富士の清流は、悲しいかな濁流と化してしまった。