法悟空 内田健一郎 画 (6393)
香港を訪れた山本伸一は、マカオも初訪問し、マカオ東亜大学の名誉教授称号授与式に出席。「新しき人類意識を求めて」と題して記念講演を行った。二月二日には、そのまま沖縄指導に入り、引き続き宮崎を訪問した。
三月に入ると、関西、中国、中部と、国内の同志の激励行が続いた。
この三月のことである。学会との話し合いを拒否し続けてきた宗門は、突然、海外組織に対する方針の転換を発表した。
これまで海外では、SGI以外の信徒組織は認めなかったが、その方針を廃止する旨の通知を送付してきたのである。
さらに、学会の月例登山会を廃止し、七月からは、所属寺院が発行する添書(登山参詣御開扉願)を所持しての登山しか認めないと通告してきた。学会の組織を切り崩そうとする意図は明らかであった。
学会員は、その一方的で傲岸不遜なやり方にあきれ返った。信心の誠をもって登山を重ね、また、総本山を荘厳するために、身を削る思いで供養し続けてきたからである。
総本山の大石寺は、戦後、農地改革によって、それまで所有していた農地の大半を失い、経済的に大きな打撃を受け、疲弊の極みにあった。すると、宗門は、生活手段を確保するために、大石寺の観光地化を計画した。一九五〇年(昭和二十五年)十一月には、総本山で地元の市長や村長、観光協会、新聞記者などが集まり、「富士北部観光懇談会」を開き、具体的な検討を始めたのだ。
その話を聞いた戸田城聖の驚き、悲しみは大きかった。金のために、総本山を信仰心のない物見遊山の観光客に開放し、大聖人の御精神が踏みにじられてしまうことを憂えた。そして、事態打開の道を考え、定例の登山会を企画し、二年後の五二年(同二十七年)から実施したのだ。これによって、宗門は窮地を脱し、大いなる発展を遂げた。登山会には四十年間で延べ七千万人が参加している。
広宣流布を願う創価学会員の信心が、宗門を支え、総本山を大興隆させてきたのだ。