池田先生のメッセージ

〈世界に魂を 心に翼を〉第4回 海外派遣公演㊦ 2018年5月31日

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 「なぜ民音は、ここまで心を尽くしてくれるのか?」

 “エジプトの音楽の府”と名高いカイロ・オペラハウスのサミール・ザキ総裁。1991年5月、民音の招聘で、エジプトから芸術家15人を日本へ派遣した。いくつも舞台を踏んできたが、これほどの受け入れの対応は記憶にない。アラブの音楽が日本になじむのか。そんな不安も吹き飛んだ。
 「アーティストは“平和の大使”だからです。それが民音の創立者である池田SGI会長の考えです」
 民音のスタッフが、文化交流に尽力する理由を伝えると、ザキ総裁が静かに口を開いた。
 「崇高な理念です。ぜひ池田会長をエジプトにお招きしたい。日本からも芸術団を送ってくれませんか」
      ◇ ◆ ◇
 翌92年6月17日、日本の芸術団が派遣され、日本・エジプト合同公演が同オペラハウスで実現した。
 第1部では、エジプトを代表するソリストたちが、総勢250人の専属合唱団・オーケストラと共に「アイーダ」「東洋の祈り」を歌い、第2部では、日本の芸術団が古典舞踊と和太鼓、民謡を披露した。
 日本舞踊アカデミーASUKAを率い、芸術団団長を務めた飛鳥峯王氏。半年近く演目の検討を重ねた。エジプトでは珍しい雪景色を配するなど、演出も趣向を凝らした。
 静寂を表現する舞と、烈火のごとき舞太鼓。そのコントラストが観客を一気に引き込んだ。
 翌日の新聞各紙には、合同公演を報じる記事が並んだ。
 「最も正しく美しく、日本の伝統を我々に伝えた。驚くべき成功だ」
 「日本の芸術監督がなぜ、エジプト人の好みを把握した上で演出することができたのか、驚嘆に値する」
 峯王氏は述懐する。「食い入るような視線に身震いしたほどです。吟味を重ねての舞台でした。滝のような拍手に、文化の交流がいかに大切かを知りました」
 公演後、興奮冷めやらぬ楽屋に池田先生から和歌が届いた。「絢爛と 勝利の都で 飛鳥王 天に舞いゆき ナイルにひびかむ」。カイロは、その名を「勝利者」に由来するという。
 翌日、さらに「偉大なる 平和と文化の 劇の旅 飛鳥の舞は 世界をつつみぬ」と贈られた。
 「多忙を極める中、一出演者に、ここまで気を使ってくださる。現地で幾度も、ご伝言を頂き、出発前には“大文化大使として、楽しく、歴史を築いてください”と。使命の道に誇りを感じています」
      ◇ ◆ ◇
 合同公演に先立ち、オペラハウスから「エジプト文化」象徴賞が池田先生に贈られた。
 民音の活動などを通し、エジプト文化を広く紹介してきた功績をたたえたもので、同国初のノーベル文学賞受賞者N・マフフーズ氏に次ぐ2人目の栄誉である。会場となった白亜のオペラハウスは、強い日差しを受けて、いっそう白さを増していた。
 先生がロビーに入ると、オペラハウスに所属する子どもたちが、合唱で歓迎してくれた。
 歌い出しを聴き、一行は目を見張った。先生が作詞した「母」の歌である。それも日本語で。
 心のこもった、愛らしい歌声がロビーに広がる。
 「実は式典の4日前、ザキ総裁から“池田会長のお好きな曲は何ですか? 心を込めてお迎えしたい”と相談を受けたのです」(当時、民音の企画部長だった生駒康二氏)
 合唱団は、ほとんどが小学生。学校の授業が終わると、母親に付き添われて練習会場にやって来た。
 通訳を介し、歌詞の意味を単語ごとに伝える。「“母”はお母さん。“あなた”も、お母さん。あなた方のことです。“不思議”は……」
 母親がアラビア語で発音を書き取り、子どもと一節ずつ声に出して覚えていく。
 不慣れな発音にめげず、練習を続けるいじらしさに、民音のスタッフは胸が熱くなった。
 「〽もしも この世に あなたがいなければ……」
 徐々に母親たちの表情が変わる。歌の心が胸に迫ったのか、肩を震わせる人もいた。
 そうして迎えた本番。
 見事に「母」を歌い上げた合唱団のもとに歩み寄り、先生が「シュクラン!(ありがとう!)」「素晴らしかった! 大きくなったら、ぜひ日本へ」と握手を交わす。真心の交歓の中で、式典の幕が上がった。
      ◇ ◆ ◇
 象徴賞の授賞式の冒頭、エジプト側の楽団が記念演奏を行った。
 合同公演に出演した「舞太鼓あすか組」代表の飛鳥大五郎氏は、この折の先生の振る舞いを鮮明に覚えている。
 エジプトの伝統的な曲に続いて奏でられたのは、当時、日本で流行していたアニメの主題歌「おどるポンポコリン」。前年、エジプトの芸術家が来日公演のフィナーレで披露した、思い出の曲でもあった。
 その軽快なリズムに合わせ、壇上の池田先生が、腕を左右に大きく振って応えていたのである。
 「衝撃を受けました。“敬意を払う”とは、こういうことなのかと。その瞬間から、音が明らかに変わりました。楽団の人たちは、本当にうれしかったのだと思います」
 夜の合同公演では、あすか組の勇壮な演舞が聴衆の心を打った。
 同じステージに立ったオペラハウスのソプラノ歌手が、その感動を記している。「和太鼓は完璧なオーケストラでした。舞うような打法に、一秒も目が離せなかった」
      ◇ ◆ ◇
 「私は大臣の座にありますが、この椅子は、例えば明日どうなるかも分からない。私の本業は画家であり、何より、私は『人間』です」
 合同公演の3カ月前、池田先生はエジプトのホスニ文化大臣と聖教新聞本社で語らいの時をもった。
 「時間は、多くのものを滅ぼします。そのことに常に思いを巡らせながら、人間としての思想と力で立ち向かっていかねばなりません」
 そう話す大臣に、先生は応えた。
 「限りある人生に、限りなき何らかの『永遠性』を刻みつけたい――これが人間精神の根源の願望ではないでしょうか。芸術も、哲学・宗教も、この願いを共有しています」
 エジプト滞在中も、先生と大臣は3日間にわたって対談を重ねた。
 合同公演後、先生は記している。
  
 文化は世界の永遠の虹
 文化は人間の幸福の大地
 文化は平和の絢爛たる大花
  
 理念を語る人は多い。だが実現のために行動する人は、まれである。
 民音の創立以来、池田先生は一貫して文化の力を宣揚してきた。そして今、民音の交流国は108カ国・地域に上る。
 その一つ一つの歴史に、先生の大誠実の行動が刻まれている。