唱題で なぜ仏の生命が湧き出すのか
ではなぜ、唱題をすると仏の生命が湧き出してくるのでしょうか。この点についても、池田名誉会長は、次のように言われています。
「南無妙法蓮華経」が、仏の生命の”名前”だからです。みんなもそれぞれ、名前を持っています。「○○君」「○○さん」と呼ばれれば、「はい」と言って、振り向くよね?
同じように、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで、自分の中から、仏界の生命が呼ばれて「はい!」と元気良く出てくるんだ。
大聖人は御書で、「我が生命の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼ばれてあらわれるところを仏というのである(557頁趣意)」と仰せです。
そして、南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く根源の法です。太陽や星が運行していく究極の力でもあります。
宇宙のあらゆる存在の奥底に、みんなと同じく南無妙法蓮華経が厳然と具わっている。ですから、ひとたび、題目を唱えれば、そのすべてが呼び起こされ、味方となっていくんです。
御本尊は、いわば大宇宙に開かれた生命の窓です。題目は、宇宙のあらゆる仏界を呼び起こす合言葉といえる。
唱題することで、自身に宇宙大の可能性を開いていくことができる。自分でも気づいていない、本当の自分の力を湧き立たせていくことができるのです。
そして、宇宙の善の力をすべて味方にしていくのだから、これほど強いことはないんだよ。
これは、戸田城聖先生の弟子として、世界に仏法を弘めてきた、私の人生の確信です。
※自身にも、宇宙の森羅万象にも、等しく具わる究極の『法』を本尊として拝し、唱題することが、法華経に説かれる修行の真髄ということです。