我々の生命を動かすものが信心である。ゆえに御本尊を拝めば、宿命を転換することが出きる。
ある程度、根本の宿命は決まっている。努力次第ですべてを変えられるわけではない。しかし、こうなりたい、ああなりたいと思う方向へいけるのが「妙法」である。
信心によって、自分の行きたい方向へ充分行けるのです。
宇宙と生命の根源の一法は肉眼には見えない。
この妙法の功力を凡夫にも味わえるように大聖人が御自身の御境涯として図現されたの
が、御本尊である。
あらゆる事件もその原因を久遠の実体たる御本尊様によせて考え、行動すべきであります。この立場で、行動するならば、いかなる世間の苦しい事件もまた困難な事柄も、すべて御利益と変じ、変毒為薬するのであります。
御本尊様をしっかりと信じまいらせた生活は、日常の生活を清らかな久遠の因として、活動するのであり、また御本尊様の功徳によって、はかりしれない生命力が湧くのでありますから、それが結果となる時には必ず良い結果が生ずるはずです。