法悟空 内田健一郎 画 (6352)
イギリスの理事長であったレイモンド・ゴードンは、フォークランド(マルビナス)戦争の翌年となる一九八三年(昭和五十八年)の十一月、「聖教新聞」紙上で、その時の様子を、こう語っている。
「大半のメンバーは、この戦争が一日も早く終わるようにと、心から御本尊に祈りました。私も心配でアルゼンチンのメンバー(大木田和也理事長)と電話で連絡をとったところ、彼らもまた、私たちと同じように、平和を願って、唱題していました。
私は、それを知って、二国間は遠く離れてはいるが、また不幸にも政治的には交戦状態にあるが、平和への願いは、ともに同じだと痛感しました。そこには、温かい血の通った平和を志向しての団結があると感じました」
彼は、祖国イギリスの宿命転換を祈った。
戦闘が続いていた八二年(同五十七年)五月、ゴードンは来日し、山本伸一と共に長崎市の平和公園を訪れ、世界の恒久平和と原爆犠牲者の冥福、そして、フォークランド戦争の終結を祈って、平和祈念像に献花した。
不幸中の幸いというべきか、翌月には戦いは終結し、戦火が拡大することはなかった。
イギリスSGIは、戦争から一年を迎えようとする八三年の三月、ロンドンで「チューズ・ライフ」(生への選択)をテーマに「世界平和展」を開催し、平和を訴えた。BBC放送などのテレビやラジオ、新聞が、これを報道し、賞讃を惜しまなかった。
全世界の人びとの心に、生命の絶対的尊厳という思想が確立されるならば、平和のために、人類は結び合うことができる。平和建設とは、その思想を打ち立て、共感の輪を不断に広げていくことでもある。
八六年(同六十一年)三月、イギリス、アルゼンチンのメンバーが来日し、学会本部で合同研修会が行われた。共に平和を願い続けてきた同志である。最初の緊張は瞬く間に解けた。「私たちは平和の戦士として、世界から戦争をなくすまで、戦い続けよう!」と、互いに誓いを新たにしたのだ。