池田先生のご指導、聖教新聞より「題目」についてその2
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瞬間瞬間、生命は変わっていく。停滞することを知らない。仏界という生命も、御本尊を受持し、唱題している状態から離れれば、すぐに冥伏して消えてしまうのであります。永年、信心強盛で大幹部になったとしても、この御本尊から離れ、題目をとだえさせてしまうならば、電流のスイッチを切るのと同じように、仏界は冥伏してしまう。もうなんの力もなくなってしまう。だが、これを生涯実践しぬくことによって、自己の生命の基調を仏界としていくことができる。千里の道も一歩よりで、刹那成道、即身成仏の瞬間瞬間の積み重ねによって、汝自身の生涯を貫く基調として仏界を確立しきっていくことが、一生成仏という原理になる、と私は思う。
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一切題目だね。百万言の指導より、百万冊の哲学書より、お題目です。お題目をうんとあげなさい。祈りなさい。願いなさい。全部その通りになって戦いは開いていく。君自身がどれだけ題目をあげたかと言うことでしょう。題目をあげれば自然に数学が必要となります。題目をあげれば自然にその仕事が充実します。
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いかに観念的に、仏法を理解しようとしても、仏法の神髄が、決して会得できるものではない。題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。そこに大御本尊の威力、大聖人の仏法の偉大さを、しみじみと自覚できるものである。遠く、釈迦時代に「智慧第一」といわれた舎利 すら「以信得入」といって、信をもって成仏した。信心、実践なき者に、仏法がわかろうはずがないのである。
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毎日の題目の功力によって解が生じてくるので、解とは学問の理解である。学問することによって、すなわち大聖人の御書を精読することによって、毎日、行の助けをかりて信仰の根本義が理解され、理解することによって、信心がまた、ますます深くなり、信心が深まることによって、行をますます励むのである。
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初めて題目を唱えた感激は「待ち焦がれた恋人と出会ったよう」。ほろほろと泣いた。湧き上がる喜びを体全体で表現した。「すごい信心したんや。すごいんや、すごいんや」。
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広宣流布へ祈り戦う中で仏の生命力が滾々と脈打ってくる。題目の師子吼で病魔も退散させ、「更賜寿命」の実証を示していくのだ。
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試練の時こそ題目である。「信心で勝つ!」――そう思い定めれば、勇気がみなぎり、智慧が湧き、無敵の突破力がほとばしる。
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「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。 真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
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人生も広宣流布も、勝利の源は題目である。気迫の祈りである。
魔を打ち破るのも題目しかない。邪知の策謀を打ち破るのも題目である。