池田先生のご指導、聖教新聞より「題目」について
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「理は、信を生み、信は理を求め、求めたる理は信を高め、高めたる信は理を深からしむ」と、恩師戸田前会長はいわれた。教学は信心を深める。また、信心が進んでくれば、どうしても教学を要求する、その教学はかならず信心を深め、その信心は功徳を涌現していく。どうか、題目をしっかりあげ、御書の1ページでも、1行でも、日々月月年々に、少しずるでも自分のものにしきっえいこうという姿勢で臨んでいただきたい。
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だれがどう言おうと何をしようとお題目にはかなわないのです。行動がないと信心とは言えないのです。御本尊様は見通している。信心の世界は不思議なもので、本気になってやれば、今の千倍、万倍の功徳が出るのです。信心の世界はお題目上げきっていけば、鉄の扉が開く力があるのです。宿命転換ができないわけがありません。信心の世界は皆で大勢で嵐のようにお題目をあげていく世界なのだ。 お題目だね。
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「題目を苦しみに集中砲火して打ち破るのだ。真剣に祈り切ることが遠いようで最も確実な早道なのだ」
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広布の世界のなかで、ともかく題目をあげぬいた人が最後には勝つ。
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いかに策を用い、力を尽くそうとも、妙法を唱えることをしなければ、生命の本源を侵してくる魔の力を撃退することはできませんし、題目が不足していれば、一切は空転してしまいます。いたずらに気が焦るだけで、思うように事は運びません。
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題目を唱え、広宣流布に邁進する「一日」が、どれほど尊いか。師と心をあわせ、創価学会とともに、妙法の永遠の楽土を築きゆく「一日」が、どれほど素晴らしいか。
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大事なことは、白馬が颯爽と大草原を駆けるような、朗々たる題目を唱えることです。
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苦しい時も題目。楽しい時も題目――。深く妙法に則っていく時、「苦楽ともに」楽しみきっていける境涯を開いていけるとの激励に、金吾の心が奮い立ったであろうことは、想像に難くありません。
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