どうか皆さま方は、一生成仏の完結の日まで絶対に退転してはならないということを、銘記していただきたい。
退転していく人の姿として共通しているのは、生活上の姿勢に欠陥のあることである。
それから強き「慢」の人であり、名聞名利の人といえる。
これは、皆さま方もご存じの通りの方程式である。
また、表面では御本尊に唱題し、活動に励み、和合の姿であるようにみえても、その一切は、自分の「我」が根本であり、すべてを自分の名利のための〝手段〟としている場合がある。
つまり、「無明」にもとづく障りの一分として、自分という小さな自我にとらわれ、目的観を忘れるという障りに侵され、自分を飾るために一切を手段化している。
自分という次元にのみとらわれ、広布という根本の目的を見失ったときに、かえって自分自身がみえなくなっていく。
つまり、一生成仏という信心の目的を忘れて、自分のエゴだけを目的にしていくような場合は、いつの日か退転に走るものである。
要するに本末転倒の心であり、決してそうであってはならない。
船舶でも、飛行機でも、計器が狂えば「迷走」となる。
人生も信心も同じである。
とくに、もっとも緻密にして確実な宇宙の大法則である妙法に合致しゆく「信心」に狂いを生じた場合には、その狂いの結果も、重大なものとなる。
自らの人生を「迷走」させ、三世にわたる苦しみをもたらすだけでなく、多くの人にも迷惑をかけ、一切の不幸の原因をつくってしまうのである。