勇気の対話で仏縁の拡大を
一、「世界広布新時代第32回本部幹部会」ならびに「北海道総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、5カ国・地域から、80人のSGIメンバーも参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。
一、過日の世界青年部総会は、壮年部・婦人部の熱烈な応援によって見事に大成功し、「3・16」60周年を勝ち飾ることができました。誠におめでとうございます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章で、ご指導くださっています。
「何百人、何千人の人が集う大きな会合も、元気が出るし、勢いがついていいでしょう。しかし、本当に大事なのは、小単位での、一人ひとりとの懇談です。それが、一切の根っこになっていくからなんです。小単位での語らいを根とするなら、大会合は、枝葉の茂る幹です。大会合がいかに盛り上がっていても、根である小単位での語らいがしっかりできていない組織は、もろいものです」と。
本当の戦いは、ここからです。今回をきっかけに、どう一人一人を「世界広布新時代」建設の主体者へと育んでいけるか。「毎日が3・16」との決意で、地道に、かつ着実に、訪問・激励に当たっていきたいと思います。
一、今、各地で弘教が勢いよく進んでいますが、私には「仏縁の拡大」という点で、忘れられない池田先生の戦いがあります。
それは、池田先生が1996年、コスタリカを初訪問された時のことです。4日間の滞在中は分刻みのスケジュールでした。
到着した翌日には、フィゲレス大統領と会談し、その後、SGIメンバーとの交歓会に出席。3日目は、中南米で初の開催となった“核の脅威展”の開幕式でスピーチ。さらに中南米10カ国の同志が集っての代表者会議に出席。4日目には、大統領と滞在中2度目となる会談。
宿舎を一歩出れば、激闘に次ぐ激闘の連続でした。“せめて宿舎に戻られた時ぐらいはお休みいただきたい”。こう私ども随行員は思っていましたが、池田先生は違いました。
プールサイドで掃除をしている人や、荷物を運んでくれる人など、とにかく先生は、見る人見る人に「ご苦労さま。ありがとう」と自ら声を掛けられました。そして、笑顔で応える従業員たちにカメラを向け、シャッターを切られると、すぐさま写真を現像するよう指示されました。数時間後には、出来上がった写真を従業員に届けて差し上げるなど、激励に次ぐ激励は、宿舎でも間断なく続けられたのです。
池田先生は、いわば国賓のような存在です。しかも超多忙な日程です。しかし、先生に垣根は一切なく、一人の人を、人として本当に大切にされる。その先生の心が、従業員の皆さんの心を打ち、心をつかみました。
最終日にホテルを出発されようとした時、何と、受付、ボーイ、ドアマン、清掃員、シェフに至るまで、たくさんのホテルの従業員が、ロビーに勢ぞろいし、池田先生を見送りに来られたのです。
オーナーに命じられて集まったのかと思ったのですが、聞けば、そうではありませんでした。皆さんが「先生に感謝の思いを伝えたい。そのために自発的に見送りに来た」と言うのです。それは映画のワンシーンのような、感動的な一こまでありました。
池田先生は、『新・人間革命』第24巻「灯台」の章に、つづってくださっています。
「広宣流布の使命に生きる私どもの振る舞いは、一切が下種へとつながっていかねばならない。つまり、日々の学会活動はもとより、毎日、毎日の生活の姿や行動が、すべて妙法の種子を植えていく大切な作業であるということを、自覚していただきたい。
ゆえに、信心していない人に対しても、また現在は、信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で、笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」
4月から受験の申し込みが始まる教学部任用試験も、仏縁拡大への最高の機会です。
私たちは、自らの振る舞いを通し、また、勇気の対話を通して、縁する全ての人に仏の種をまいていきたい。
一、日蓮大聖人の仏法は、下種仏法です。妙法を聞いて相手が発心する「発心下種」も、相手が話は聞いたものの発心しなかった「聞法下種」も、いずれも相手の生命に妙法の種をまいた点では、全く同じです。
ゆえに折伏は、相手ではなく、自分です。信心する・しないは相手の都合、信心を語る・語らないは自分の都合――この“自分の都合”が、すなわち「勇気」であります。
そして、相手が入会しようがしまいが、聞こうが聞くまいが、自分が勇気を奮い起こした分だけ、功徳もまたあるのです。
北海道の方面歌「三代城の歌」の前身である「ああ共戦の歌」を、池田先生が78年に贈ってくださった当時、私は北海道総合長でした。
出来上がったばかりの歌詞を見せてくださりながら、先生は語られました。
「“師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている”というのが、私の力の源泉だった。師弟共戦とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今も、その思いで戦っています」と。
さあ、「4・2」から「5・3」へ、私たち池田門下の弟子が戦い、勝って、先生に勝利をご報告していこうではありませんか(拍手)。