毎年3月11日が過ぎるとテレビや新聞の震災報道が減っていく。“記憶の風化”が懸念される一方、仮設住宅で暮らす人たちは2万9639人(1月末現在)もいる。“過去の出来事”にしてはならない▼南三陸ホテル観洋のおかみ・阿部憲子さんが本紙で語っていた。「“千年に一度の災害”は、“千年に一度の学びの機会”と捉えるように考え方を変えました」。同ホテルでは「語り部バス」を毎日運行し、スタッフが震災の教訓を伝えるという▼妊娠3カ月だった福島県の婦人部員は原発事故後に広島県に転居。“福島出身”と口に出すのをためらった。ある日、創価学会の「被爆体験を聞く会」に参加。「本当は思い出したくない。でも未来のために伝えたい」という被爆者の声が胸に響いた▼彼女は、昨年から原爆体験記の朗読ボランティアを始めた。冒頭で「私は福島で被災しました」と打ち明け、被爆者に気持ちを重ねるように語りだす。「世界の青年たちが涙を浮かべて聞いてくれます」と▼今も震災や原爆で苦しみ続ける人がいる。その心の内を理解することはできないかもしれない。しかし寄り添うことはできる。共に生きることはできる。そうした人間のつながりによって、「フクシマ」「ヒロシマ」の願いは未来へ受け継がれる。(子)