池田先生ご指導

少々の難、少々の苦労があったとしても、どうして一喜一憂することがあろうか。 それらは、いわば人類の業であり、永遠になくなることはない。

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少々の難、少々の苦労があったとしても、どうして一喜一憂することがあろうか。
それらは、いわば人類の業であり、永遠になくなることはない。
また、生老病死の苦悩を離れて、人間も人生もないのである。
何の苦労も、悩みも、悲しみもなく、過ぎ去っていくような人生は、あまりにもむなしく、愚かである。
生きがいもない。
大聖人の仏法の極意は、煩悩即菩提。
苦しみが大きいだけ、苦悩が深いだけ、悟りも喜びも大きいのである。