人の言葉は絶対とはいえない、法のみが絶対である。
自己中心にして、人をだまそうと思えば、いくらでもだます言辞をはけるものだ。
それらの自己中心の視点からの僻見に、崇高なる広布の歩みをゆがめてもならないし、信心の心を揺るがせてもならない。
どこまでも大御本尊に南無し、妙法への帰命を根本としなければならない。
そのうえに立っていくならば、鋭く人を見きわめ、すべてのうそいつわりをおのずと感じとっていけるはずである。
五陰世間、衆生世間、国土世間も、すべて一念に具備されているというのが、事の一念三千の法門である。
これはまことに驚くべき、深い法門である。
これを確信しての信心があるときに、広宜流布の具体化は、厳としてなされていくのである。