【御書本文】
悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息夫妻所従檀那無量の衆生三悪道をはなるるのみならず皆初住妙覚の仏となりぬ(盂蘭盆御書1430)
【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。
善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。
また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。
さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住の位に昇り、また(極果である)妙覚の仏となったのである。
【先生の指導から】
なかには、ご家族が信心されていない場合もある。ご家族を、早くに亡くされる場合もあるかもしれない。しかし、大聖人は断言されている。
(中略)
一人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。一人が幸福になれば、皆を幸福にしていくことができる。嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。自身が根本である。
仏意仏勅の学会は、究極の「幸福の安全地帯」である。この学会とともに自分自身が生きぬいていくならば、一家眷属も皆、必ず幸福へとリードしていくことができる。この大確信を忘れないでいただきたい。