信心をしなかった親であっても、子である自分が妙法を受持すれば、その功徳は親の功徳ともなる。私たちが、今こうやって生きているのは父母のおかげである。この体は、父母から授かったものである。自分自身の成仏は、父母の成仏につながっていくのだ。
過去がどうかではない。「今」で決まる。先祖がどうかではない。「自分」がどうかで決まる。目覚めた「一人」が、太陽となって、 一家、一族を妙法の光で照らしていけばよいのである。
「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことはむずかしい。ましてや、他人を救うことなどできない」