東の方へ向かって、諸天善神に対して挨拶するときに、それは、我が心の中にある諸天善神が、大宇宙に浮かぶのです。そうして、第二座に御本尊に向かうときには諸天善神が全部うしろにいるのです。かりに私が、いま、諸天善神に挨拶すれば、夜であろうと昼であろうと諸天善神がことごく私のうしろに全部すわって、御本尊様に挨拶するのです。そうして、私の心の願いを叶えるために、その諸天善神がみんな働きにいくのです。そういうふうになっているのです。
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「心ざし」です。心からの願いは必ず、叶えられます。不可能だと自分が思えば、そう思う一念によって可能なものまで不可能になってしまう。必ずできると確信すれば、すでに現実に一歩近づいているのです。
大願に生きることによって、他のすべての願いが叶うのです。
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南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。
したがって、自分の望む方向に物事が変化していって、願いが叶うのは、むしろ当然のことなのである。ただし、本当は、取り入れるのではなくて、「所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり」とあるように、われわれの生命自体が、本来、南無妙法蓮華経の当体なのである。
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この悩みを解決したい、あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。急流を木でかけば波がおこり。眠れる獅子に手をつければ吠えるのは道理です。転重軽受の法門を実践し、高く広々とした境涯に前進する勇気ある信心を貫きたいものです。
今まさしくそれで、自分に負けそうになってました!!!!が、自分はやれると感じ、噴気いたしたところです!!!!愚痴や悲しんでる暇などないです!!!!