とまれ、仏法は道理である。信心しているから、少々の不摂生ぐらい、といった甘えは徹して排し、信心しているからこそ、賢明な生き方を工夫していこうとの絶えざる向上の姿勢こそ、仏法者のものといえよう。仏法は、現実社会の中で躍動している。厳しいその現実の中で勝ち抜いていくためには、生命力が強くならなければならないし、健康でなければ、仕事にも勝ち抜いていけない。
更にここで思い起こすのは、「絶えざる生命の革新」こそ健康の本義、との学会指導である。健康とは単に病気がない状態ではない。心身ともに健全に、生き生きとした創造の営みを織り成し、どのような苦難も乗り越え、最悪の環境条件さえも、かえって飛躍の原動力に変えていく。そのたくましい人生の中にこそ真実の健康観が輝きわたる。
生き生きと求道に燃え、前進する人の周囲は、すがすがしい空気で満たされていく。仏法をたもった私たちが、家庭や地域、職場という現実にあって、壮健な姿で振る舞っていく--私たちの目指す健康像は、個人にとどまらず、病んだ社会にも若々しい活力を及ぼし、変革のエネルギーを生み出していくことを確信したい。その本源が、御本尊への深き祈り、朗々たる唱題である。