池田先生ご指導、聖教新聞他より「苦しい」についてパート4
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悩んでいるのなら実践すべきである。悩んでいるほうが苦しいものだ。実践をし、題目をあげれば前進する。
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戸田前会長は、生命にかかわるような重大問題、生命が絶対絶命になったような境遇に陥ったときに、ほんとうの題目を唱え、折伏をしたときに、宿命の転換がなされるのだといっておられた。われわれも生活が行き詰まったり、病気や苦しいことにあったなら、そのときこそ、仏になれる、人間革命ができるのだと信じて、しっかり題目をあげようではないか。
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何もせず、漫然と無価値に費やす、停滞した時間は、かえって生命に重苦しい疲れと悔いを残してしまうものだ。
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経験や準備を整えるにこしたことはないが、何よりも失敗や挫折にも諦めない執念こそが、勝敗を分かつことを忘れてはならない。自分も苦しい時は、相手も苦しい。そのような胸突き八丁の坂は、戦いの途上で必ず行き当たるものだ。その時に、一歩でも退いてしまうか。それとも岩に爪を立てるような気持ちで向かっていけるか。「勇気の信心」である。
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信心を失い、御本尊を忘れてしまえば、何十年信心をしてこようが、即時に、己心の仏界は消え、迷いの九界の人生となるのです。生涯、最後の最後まで、どんなに苦しいことがあろうと、微塵も御本尊を疑わないで、信じきった人生は、それ自体、仏界常住であり、成仏の境涯なのです。
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ともかく、「困った、困った」という前になにがあっても、どんなに苦しい状況になっても題目を唱えていく。
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苦しい試練も、大成長への時と定めれば、勇気が湧く。本来持っている仏の力を確信すれば、不安は消え去る。友が心軽く前へ進めるように温かく励まし続けることだ。
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つらい時も悲しい時も題目です。人生は、苦しいこと、悩み、つらいことが多いんです。これは誰人であってもそうです。
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苦しいと何回言っても良くならない。その言葉を題目に変えなさい。
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信心しているからなんとかなるだろう」といった安易な考え方、気持ちであってはなりません。「苦しい」「大変だ」、だからこそと決意を新たにして、一にも二にも題目を唱え抜いていくのです。つねに「だからこそ」という信心に立つことがいわば本因の姿勢です。積極的に唱題に励み、活動に取り組んでいただきたい。
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苦しい思いをすることがあったとしても、それらはすべて魔の所作によるものであることを見破り、それらをつきぬけて毅然と勤行・唱題に励み、広布の活動を力強く推進しゆくことじたいが、信心強き仏界の人生なのである。
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つらいとか苦しいとか口で言える間は、まだ本当の努力をしていない。死に物狂いになった時は弱音など吐く余裕もなくなる。
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題目あげるしかできない。