池田先生ご指導

したがって謗法とは、自分の外にある何かを誹謗しているのではなく、わが生命の奥底にある尊貴なものをけなし、踏みにじり、破壊している行為といえます。

スポンサーリンク

物理学者の湯川秀樹
「宇宙の中に生命が現れて、進化して、人間というものが出現し、いろんなことをしているということは、非常に大きな創造力が、いろんな形で現れている姿だということができる。つまり、人間の生命力を、そういう宇宙の大生命力というようなものの一つの現れ方としてみるならば、人間の創造性はその中でも一番、高度な形の生命力のあらわれでしょう」


一人の人間の頭の中の記憶量は、大型コンピューターが一億一千二百万台も入っているのと同じぐらいだといわれる。だから、人間の記憶量には限度がなく、ふつうの人はせいぜいその十分の一ぐらいしか使わないで死んでしまう。まして人間の脳の創造性は、それこそ無限なのだ。


諸仏や諸天善神は、南無妙法蓮華経の法味を受けて、その力や働きが発揮されるものです。
謗法の者が充満しているところには、諸仏や諸天善神が国土を見捨てて去るのは当然といえます。
謗法とは、正法を誹謗することですが、その正法とは何か。三大秘宝の南無妙法蓮華経であることはいうまでもありませんが、別言すれば、わが生命の究極、本源の清浄な実在に他なりません。したがって謗法とは、自分の外にある何かを誹謗しているのではなく、わが生命の奥底にある尊貴なものをけなし、踏みにじり、破壊している行為といえます。
そういう行為をすれば諸天善神が逃げ去る、すなわち、内なる生命の尊い輝きが消え、知恵と創造のエネルギーが失われていくことは、当然です。生活を充実させ幸福へと志向させる因を、自らが断ち切るほどの愚かなこともないでしょう。諸天とは、生命のみずみずしく豊かな発動があり、依正不二で一切の依報が幸福へと作動してくることなのです。清らかな信心に立って、しっかりと五座三座の勤行を持続しましょう。