勤行について少々ふれておきたい。勤行はなんといっても信心の基本であります。
実は、かなりの幹部でも勤行の仕方がまずい人がいます。また、多忙にまぎれてか、勤行・唱題を十分にしない人もいます。それでは、信心のリズムに合った立派な指揮をとれるはずがありません。
率直に申し上げましょう。過去のことですが、ある最高幹部が亡くなる半年ぐらいまえに、一緒に勤行したことがあります。そのとき、どうも気になるのです。その勤行の声がなんだか詰まったようで、息苦しい感じなのです。まずいなと思いまして注意しましたが、やはり心臓の発作でなくなりました。もし、そのときから必死になって勤行・唱題に励んでいれば、宿命の転換もできたかもしれません。立派な人であったが故に、はなはだ残念なことだと今でも思っています。
このように、勤行のなかに自分自身の生命、信心の実相が、きちんとあらわれているものです。前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してきます。生命力が弱まったり、信心に行き詰まっているときは、勤行ができなかったり、勤行していても、なにかおかしいなと感じさせるものがあります。それはまた自分自身がいちばんよくわかるものです。いわば、これ以上の健康管理法はないといってもよい。
そういう意味においても、勤行は非常に大切な信心の基本です。御本尊と境智冥合していく唯一の実践法ともいえます。