人間生命の内奥にうずまく宇宙生命としての究極の生命、それを仏法では、仏界といい、仏の生命と称している。宇宙生命に充満する、万物を蘇生させ、創造へとかりたてる無限の力、そのエネルギーが人間生命の内奥にも、うずまいている。この生命究極の「偉大な宝」をいだく人間生命、しかも、その「宝」を掘りあて、事実相の上に開き輝かすことのできる生命としての人間。
仏法といっても、所詮人です。私も仏法という「法」を知ってから戸田先生を信じたのではありません。戸田先生という「人」を信じたからこそ、仏法への信頼が生まれたのです。
世間的な見方からはどんなに地獄の重苦のように思えても、信心の目から見れば、実は護法の功徳力によって未来の大苦を招き寄せ、今生の少苦として軽く受けているのである。
言い換えればいかなる難も、いかなる宿業も、三世にわたる仏法の智恵の眼に照らせば、それを乗り越えることによって成仏は疑いがないゆえに、偉大な功徳といえるのである。
「まず祈る」ことである。祈った瞬間から回転が始まる。
患者の傾向として「治りやすい人は、感謝や喜びや賛嘆というようなプラスの感情が強い。反対に、治りにくい人は、愚痴自己卑下や嫉妬といったマイナスの感情に支配されている。