「山本伸一」の精神を胸に
池田大作先生の小説『新・人間革命』の連載が9月8日、完結を迎えた。現在、各地では『新・人間革命』の研さん運動が活発に行われている。新連載「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」では、各巻を学ぶ上で、参考となる解説や資料を掲載していく。今回は「小説『新・人間革命』研さんに当たって」と題し、池田主任副会長へのインタビューを紹介する。(インタビューの内容は、創価新報の2017年2月1日付と3月1日付で掲載された記事に加筆し、再構成したものです)
池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始されたのは65歳の時です。一般的には、“定年”という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されました。
『新・人間革命』の「はじめに」には、小説の執筆は「限りある命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと感じてなりませんでした。
1993年(平成5年)8月6日の執筆開始から25年。『新・人間革命』の連載が、9月8日に完結を迎えました。振り返れば、『人間革命』の執筆が開始されたのは、1964年(昭和39年)12月2日です。
『新・人間革命』第10巻「言論城」の章には、「移動の車中などで、小説の資料となる文献を読み、構想を練り、早朝や深夜に、原稿用紙に向かう日が続いた」とつづられています。
54年にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、海外訪問などの激務の中でも続けられた、寸暇を惜しんでの「闘争」でした。その激闘に、感謝してもしきれません。
池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始されたのは、軽井沢の長野研修道場です。かつて私が研修道場を訪れた折、先生が記された「全三十冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
戸田先生は逝去の8カ月前、軽井沢の地で池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、“続編”の執筆を固く決意されています。
池田先生の『人間革命』は戸田先生の出獄の場面から始まり、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。
一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5カ月後、海外初訪問のシーンから始まっています。
これは、『新・人間革命』が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょうか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」という一字の意義があると言えるでしょう。
『人間革命』『新・人間革命』には、「一人の偉大な人間革命」が、多くの人々の地涌の生命を呼び覚ますという、人間に対する限りない信頼と尊敬の思想が底流にあります。
『新・人間革命』では、宿命転換を通して人間革命を実現している体験が数多く登場します。この人間革命のドラマの急所が、「誓願」と「願兼於業」の法理です。
「願兼於業」について、池田先生は「仏法における宿命転換論の結論です。端的に言えば、『宿命を使命に変える』生き方です。人生に起きたことには必ず意味がある。また、意味を見いだし、見つけていく。それが仏法者の生き方です」と述べられています。
今、自分が苦難を受けているのは、人を救う「菩薩の誓願」である――そうした学会員の力強い生き方が描かれているのが、『新・人間革命』です。
池田先生は『新・人間革命』の「はじめに」で、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
小説だからこそ、読者は、主人公の人生を追体験することができます。「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言えます。
つまり、「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができる。誰もが「山本伸一」として生きる可能性を持っているのです。
大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイ アム シンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」です。先生の『新・人間革命』を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、“今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おう”と立ち上がっています。
2010年(平成22年)以降、先生が直接、会合に出席されないようになったことで、『新・人間革命』の意義は一層、大きくなりました。先生は小説で、創価学会の精神の正史と、自身の心境をつづられながら、力強いメッセージを発信されてきたのです。
時代が進めば、小説で描かれている当時を知る人は減っていきます。もちろん、その証言は貴重ですが、『新・人間革命』によって、折々の広布史や学会精神が世代から世代へと、“先生の思いと共に”永続的に伝わっていく。ここが、より重要な点です。
言い換えれば、『新・人間革命』は、後世の学会員の依処となる“文証”とも言えるでしょう。だからこそ、私たちが今、しっかりと学んでいくことが大切です。それが、「学会の永遠性」の確立につながっていくのだと確信します。
『新・人間革命』全30巻を、いきなり通して読むのは大変でしょう。その努力をしていくことは大切ですが、まずは、どの巻でも、どの場面でもいいので、自分が身近に感じるシーンや、現在、住んでいる地域・故郷などが描かれている部分を深く読み込んでいくことです。
例えば海外への足跡は、誰も知らないその国の“広布の第一歩”が記されています。日本国内でも、草創期の友の奮闘を通して、先生にしか書くことができない“原点”がとどめられています。その史実を学びながら、前後の背景を読み進めていくとよいでしょう。
また、連載された時期を確認することも大事です。なぜなら、先生は“執筆時”の真情をも記されているからです。
2011年9月1日から連載された「福光」の章は、同年3月11日の東日本大震災で被災した東北を中心に描かれています。先生は苦難に向き合う友へ光を当て、全精魂を込めて励ましを送り続けられました。その一文一文が、どれほど希望となったことでしょうか。
先月の11日から3日間にわたって掲載された「小説『新・人間革命』完結 記念特集」には、全30巻の「主な内容」が載っています。こうした記事を参考に、『新・人間革命』を開くのもいいでしょう。
『新・人間革命』第1巻の「あとがき」に、こうつづられています。
「師の偉大な『構想』も、弟子が『実現』していかなければ、すべては幻となってしまう。師の示した『原理』は『応用』『展開』されてこそ価値をもつ」
これからの時代は、『新・人間革命』を、弟子の立場でどう深め、実践していくかが鍵となります。いかに自分たちの血肉とし、後世に正しく伝えていくか。その意味で青年部の皆さんは、使命ある“新・人間革命世代”と言えるでしょう。
8月22日付の「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「誓願」の共戦譜〉で、先生は次のように述べられています。
「広宣流布という民衆勝利の大叙事詩たる『人間革命』『新・人間革命』は、わが全宝友と分かち合う黄金の日記文書なり、との思いで、私は綴ってきた。ゆえにそれは、連載の完結をもって終わるものでは決してない」
未来永遠に広布の「誓願」を貫き、自他共の生命を栄え光らせていく。師が託したこの思いに応えていく「使命」が、私たちにはあります。
一人一人が日々、『新・人間革命』の研さんを重ねながら、わが広布の「誓願」を果たし抜いていきましょう。
1993年8月6日、池田先生が長野研修道場で執筆を開始した小説『新・人間革命』。起稿25周年の今年8月6日、同じ長野研修道場で、先生は最後の章を脱稿した。
広島原爆忌のこの日、先生は平和への祈りを捧げ、香峯子夫人と共に、研修の役員と出会いを刻んだ。
師は見守り続けている。
弟子の成長を――。
弟子の勝利を――。
「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「人間革命」の大光〉に、先生は記した。
「我らは、共々に『人間革命』の大光を放ちながら、新鮮なる創価の師弟の大叙事詩を綴りゆくのだ!」
さあ、きょうも新たな出発だ。師弟の誓願を貫き、“わが黄金の日記文書”を朗らかにつづろう。
新連載「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は月4回、原則、水曜日付に掲載し、1カ月で1巻分を紹介していきます。それぞれの週の内容については、別表を参照。
※今月は第1回が10日付、第2回が17日付、第3回が24日付、第4回が31日付の予定です。