「色心ともに七宝を以って荘厳された仏の宝塔と、衆生の身体と全く異ならぬ所以を説かれ、信心を起こして、題目を唱える所、宝塔の功徳は凡夫の阿仏房の一身にあると示し給うのであります」
「この功徳について心身を分別するならば、心法の功徳は深く九識心王に成仏の種を下して様々の心の宝を生じ、心法の功徳は現当二世に優れ、調和した五大和合の実証を示すのであります」
(中略)ゆえに己身の梵天、帝釈が働かざるをえなくなってくる。商売も仕事も総てのものがよくなってくる。御本尊様には、今言ったように何千、何百万、何十万という大衆がいる。だから、例えば商売繁盛させてくださいと御本尊に祈ることは、それらの多くの力用にたのむことになる。したがってそれらの力が働いてくる。だからよくならないわけがない。
勝つか負けるか、どちらかである。ならば、どこまでも徹して強信であっていただきたい。そこに一切を開く急所がある。また、例えすぐには目に見えなくとも「冥益」(気がつかないうちに受ける功徳)として、時とともに勝利へのリズム、発展への回転をつくっていく。
こうした「信心の勝利」の方程式を証明する体験は、数限りなくある。
「一心の妙用」(心の不思議な働き)という信心の極意がある。
「信心」の力用次第によってやがて厳然とかなえられていく。