池田先生ご指導

「外面的な楽しさはただ移ろいゆくものであり、決してわれわれの生活の内面をささえてくれるものではないであろう。

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「外面的な楽しさはただ移ろいゆくものであり、決してわれわれの生活の内面をささえてくれるものではないであろう。実際、われわれが数日の間でも、ただ外面的な楽しさを追って、したい放題にレジャーを楽しむという生活を送るとき、そこに何か知らぬ空虚さがポッカリと口をあけるのに気がつくではないであろうか」
「幸福とは」、もっと内面的なものである。生活の充実感である。そして、この充実感はわれわれが何かを全身をこめて打ち込むというところにはじめて生じてくるのではないであろうか。われわれの生活を顧みて、なすべきことをなしているという自信を持ちうることこそ、われわれの生活の幸福を内面からささえてくれる唯一のものであろう」
私たちの立場でいえば、外面的幸福は、戸田前会長のいわれた相対的幸福の範疇であり、内面的幸福こそ、絶対的幸福の範疇になるわけであり、この点からいって、この教授の論旨には私も全く同感であります。
だが、それでは、生活の充実感を内奥より生み出す根本はどこにあるか、この点が非常に大事になってくるのです。「何かに全身をこめて打ち込む」というけれども、その「何か」をどこに見い出すのかと訴えたい。また、自分が生涯をかけて打ち込もうとする対象自体が、あまりにもうつろいやすく、不安定ではないかといいたい。
現代人の大部分が、そこにおおきな疑問をもち、悩んでいるのが実情ではないかと考えるのであります。したがって、結論していうならば、今、真に全身を打ち込む確固たる目的をもっているのは、私ども創価学会の同志のみであるといっても過言ではない。