池田先生ご指導

仏法では「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説きます。つまり過去、現在、未来と、原因・結果は厳然と貫かれているのです。

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人生のルール、生命の法を明かしたのが仏法です。この法にしたがって動いていく生命の流れが、実は「運命」なのです。
いったい、全ての事象に原因と結果があるのに、生命の現象には原因がなくて、ただ結果だけがあるなどということがあるでしょう。
仏法では「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と説きます。つまり過去、現在、未来と、原因・結果は厳然と貫かれているのです。人はその生命の流れを見通すことができないので、あたかも原因がなく不可抗力のように出現する何ものかを運命と呼んだのでしょう。
仏法はその生命の流れをしっかりととらえ、生命の法則を打ち立てています。それ故、人間生命に過去の結果として内包されている宿命の転換は、生命の法則にのっとる以外にないのです。
ですから、一生懸命に努力しながらも、なお運命の前に挫折し、よい結果を得ることができないのは、その信念がこの生命本源の法則にのっとっていないからなのです。
それはあたかも日食や月食が、天体の運行の法則性を知らない未開人にとっては、極めて不思議な存在としてしか把握できないように、生命の法則を知らない現代人も、あた、運命を偶然的なものとしか理解できないようなものです。
生命の因果律からいえば、過去から現在に至るまでの一切の行動が集積して、現在の自己を形成しているということになります。その現在はまた、未来を形成する因になります。この未来の因となる現在を出発点として、自己の生命の因果律に、運命を転換するだけの因を刻んでいけば当然の結果として、運命は転換できるわけです。そのためには、生命の本源の法則である妙法を信じ、生命の本源の法則を説ききった仏法を実践する以外にないのです。