


自らが全責任を担い立った時に、本物の底力を出すことができる。死力を尽くして新しい勝利の道を開いてこそ、仏となることができる。

戸田先生が「この御書だけは命に刻んでおきなさい。 学会の闘士になるためには、この御書は忘れてはならない」と言われ、教えてくださった御聖訓がある。

本日の御書 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ (上野殿御返事p1561)

御本尊様に祈ることによって、諸天善神が動きだします。仏の眼で見れば、因果の理法に則り、祈った瞬間に叶う勝因が刻まれています。

本日の御書 何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし(松野殿御返事p1383)

我らの祈りは、「人間革命の祈り」だ。 人や周囲が変わってくれるのを待つのではない。 強盛な一念で自分自身が変わり、その波動を広げるのだ。

「ありがとう」を言う時、聞く時、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人が深いところで通い合える。 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。

学会員に尽くし抜いていく。それが私との共戦です。 長い人生には、失敗も、挫折もあるかもしれない。しかし、それでも前へ進むんです。いちばん大事なことは、何があろうが、生涯、学会から離れず、同志のため、広布のために、献身していくことです。
