


すなわち、八万宝蔵、さらには一切法といっても、それらは全て御本尊の説明であり、せんじつめれば、一切法は御本尊に帰着することを知っていただきたい。

本日の御書 夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり(如説修行抄p501)

本日の御書 疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者」等云云(法華取要抄p334)

聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。

「聖教」は、私の生命であり、 創価学会の生命であり、 仏法厳護の生命であり、 広宣流布の生命である。

幹部になったからといって、その人の信心も完璧になったとはいえない。役職は一方便ともいえる。信心は一生涯のものである。

一遍の題目にも無量無辺の功徳力がある。題目三唱でも、心を込めて行えば、無限の力が湧く。広宣流布の誓願を掲げ、御本仏直伝の師子吼の題目を唱える我らだ

本日の御書 今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ(開目抄上P202)
