


大聖人は同志間で悪口を言い合うことを厳しく戒められている。「不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずで仲良くしていきなさい」(御書278ページ、通解)

卑怯な「いじめ」に負けてはならない。堂々と、言い返し、敢然と相手の悪を責めていきなさい。または、賢明に、よき友だちをつくって、団結することです。

与えるほうも大聖人の教えを伝えるだけであるから無限であり、与えられたほうも、生命の源泉に清浄な生命力を植えつけられるのであるから、無限の活動力が生じて、新進の人生が開拓できるのである。

慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ、指導者の自覚を得たものというべきではないか」「友として」と言われている。命令主義ではない。対話主義であり、“ともに目標に進もうではないか”と希望を「指さし」、幸福へと「導く」指導主義である。

本日の御書 然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん(御講聞書p843)

本日の御書 やすやすとあわせ給うべき事候、釈迦仏を御使としてりやうぜん浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏と申して大地はささばはづるとも日月は地に堕ち給うと

本日の御書 いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり(上野殿後家尼御返事p1504)

本日の御書 此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば同じところに生れさせ給うべし(上野殿御返事p1508)
