


本日の御書 仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに

〈名字の言〉 2018年7月15日 岡山市北区の農家から連絡があった。今回の豪雨で自宅は床上浸水。農地は水没。「先は見えませんが、地域の方や全国の知人が励ましの声を掛けてくれて……」。

本日の御書 されば同くはなげきたるけしきなくて此の状にかきたるがごとくすこしもへつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならばあしかりなん、

たったひとつの理論をいいます。三越へいくと、欲しい物がいっぱいある。ところが、金がなければひとつも売ってくれません。

本日の御書 日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし

われわれの生命というものは、大宇宙に溶け込むのです。それなら、そのままではいいではないか。しかし、出てくる。それなら、出てきたときに、その生命の運勢がよくなるために、信心したらいいではないか。それは、うそです。

本日の御書 此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候

体験のない信心は観念(頭でわかっているだけ)になってしまいます。決めて祈って努力する。上り坂の信心をしていきましょう。
