


そのときには気がすすまなかったり、いやいやながらやったりしたことが、後になって自分の人生を、良き方向へ大きく転換させていたことに気づく場合がある。 目には見えないが、はかりしれない仏智が働いて守られているのである。

苦しい病気という不幸が、そのまま永遠にわたる絶対的幸福へのステップ台となっていく。

ゆえに、信心をしている同志の謗法に対しては、程度の差はあろうが、むやみに責めたてたり、追いつめて、逆に信心から離れさせてしまうようなことは、絶対にあってはならない。 あくまでも、その人の信心を、より前進させてあげよう、深めさせてあげようと励まし、指導していく、忍耐強い慈悲の一念が大事なのである。

本日の御書5998

妙法の世界では、破和合僧の罪はまことに重い。 一人で謗法をおかす罪よりも、何倍も重いのである。 また、そういう人間に限って弘教もしていない、同志の激励、指導に足を棒にするわけでもない。 教学も知ったかぶりをする。

ご本尊の前に座った瞬間から悩みが解決することは確定している。

しこうして、学会の指導者は、なにをもって一般よりも高しとしうるのであろうか。 いうまでもなく信心の力である。

本日の御書6008
