【御書本文】
教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり(開目抄下p237)
【通解】
教主釈尊は、一切の外道から大悪人であると、ののしられた。天台大師は、南三北七の十派から怨嫉され、日本の法相宗の僧・得一からも、「三寸に足らない舌をもって(仏説を誹謗し)五尺の仏身を断つものである」と中傷された。また伝教大師も、奈良の諸宗の人々から.「最澄は、いまだ唐の都を見ていない(だから大したことはない)」と悪口を言われた。これらは皆、法華経のゆえであるから、恥ではない。
(それよりも)愚人にほめられることこそ第一の恥である。
【先生の指導から】
牧口先生も言われている。「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」
牧口先生という、あれだけの大哲学者、あれだけの大教育者を、日本の官憲は牢獄に入れ、獄死させた。何という愚者であろうか。
さらに戸田先生も述べておられる。
「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」
つまらない、くだらない連中からほめられることは、正義の人間にとって第一の恥である。愚人たちから憎まれてこそ、本当の正義である。これを心して生き抜け! 牧口先生、戸田先生は、そう教えておられるのである。
正義ゆえに迫害される─これは、古今東西の歴史の方程式である。
世間の人気や評判など、時代によって変わっていく。そんなものを追い求めても、陽炎のように、はかない。私たちは、どこまでも経文通り、御書通りに生き抜いてまいりたい。