池田先生ご指導、聖教新聞他より「苦しい」についてパート5
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葛藤の連続だった。今まで支えてくれた人たちの顔が頭に浮かぶ。御本尊に向かうも、情けなさと悔しさが心を締め付け、祈ることも苦しかった。
「大事なことは、苦しい時でも辛抱強く前を向けるかだ。今いる所で踏ん張れなきゃ、どこに行っても同じ。攻め抜けば、その先に必ず道は開ける」
「ここぞという時に、“辛抱”できたからだと思います。当然、悩みや問題は消えない。でも、その現実から逃げずに、信心で“攻めの心”を燃やせば、必ず何かを勝ち取れる時が来るんです」
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目標を決めて頑張っていても、もう一歩、壁を破れないことがある。その突破口を開くものの一つが励ましであろう。苦しい時ほど真心の一言は想像以上の力となる。分の限界を超えるには切磋琢磨できる友とつながることだ。励まし合いつつ前進すれば苦しみは軽くなり、勝利の喜びは倍加する。
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「この世で最も偉大な力は、生命の再生能力です。人間は肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病を治癒する本然の能力を持っている。しかし、それ以上に素晴らしいものは希望の力です」
人生は、どこまでも戦いです。目指す理想が高ければ高いほど、困難の峰も険しくなる。失意や落胆の時もあるでしょう。
しかし、若き命には、限りない蘇生の力が秘められている。苦しい時こそ、わが胸に灯した大いなる希望の火を明々と燃え上がらせ、負けじ魂の一歩を踏み出していただきたい。そして、またもう一歩と挑戦する。そこから必ず、新たな希望の大回転が始まるからであります。
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人生の逆境にあって、断じて信心だけは一歩たりとも引かない。そこに、最高の信頼と栄光が築かれる。必ずや、永遠の誉れと功徳が輝く。
一番、苦しい日々が、一番の思い出になる。一番の宝の日々なのだ。苦難と戦う中にこそ、大いなる希望の夜明けは来る。
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無冠の友へ
土砂降りの雨の中を走った日もあった。 神々しいほどの 朝陽(あさひ)の光を 浴びる日もあった。 この崇高な境涯は 誰人よりも 「幸福の帝王」との思いをした日もあった。眠い朝もあった。 やめたくなる日もあった。 冷たい風の日もあった。 雪の中を 歩いた日もあった。 土砂降りの雨の中を走った日もあった。神々しいほどの 朝陽(あさひ)の光を 浴びる日もあった。この崇高な境涯は 誰人よりも 「幸福の帝王」との思いをした日もあった。眠い 辛い 苦しい こんな配達は まったく やめたい―― 幾たびとなく思ったことか。 しかし 自分自身の尊い修行と思えば 自分自身に敗北をしたくない。 これが 勇猛精進の 日蓮仏法であるからだ。 頑張り抜いたあとの 爽快な生命は 勝利の栄冠は なんと爽やかであろうか。
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悲しいことだってある。涙にむせぶ夜もある。ひどい心の傷を受けた日だって。
そんな時は、僕の心の扉をノックしてごらん。
僕の心は君のために開いている。この耳だって、いつもどんなときだって開いてあげる。この眼だって、ともに涙をいっぱいためてあげる。うれしいことは、言わなくてもよい。君の顔をみればわかる。つらくいやなことは、すべて、僕に話してごらん。
君の重苦しい身体を半分背負ってあげる。そして、一緒に歩いていこう。
先生の未来部員に「世界中の全ての人が君の敵になっても私は君の味方だよ」と言われたことを思い出しました。
私は今、悪性のリンパ腫と闘っていますが、学会の中で苦楽を共にした同志達が勇気を沢山くれます。池田先生、奥様、そして共戦の多くの同志の皆さまに大感謝しています。必ずこの病気をやっつけて、今世でリセットして勝利の実証を示します。
本当にありがとうございます。