


教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。 教学が強くなれば、信心はさらに強くなる。反対に強靱な“背骨”がなければ、いざという時に弱い。

南無妙法蓮華経といって、大宇宙生命の本体それ自体が、わが生命のなかへ働かなかったならば、ないも同じでしょう。それを働かせるために日蓮大聖人様は、南無妙法蓮華経という御本尊様を顕されたのです。

御書には、日蓮仏法の正義が、破邪顕正の折伏・弘教の道が示されている。 また、広宣流布の戦いに臨む姿勢も、仏法指導者の在り方も、人材育成の要諦も、余すところなく説き明かされている。

同じ御本尊を拝んでいても、こちらの信心が弱ければ込み上げてくる真の大歓喜は味わえない。信心次第で功徳が違ってくる。

唱題に励むとき、大宇宙の根本の法則である妙法と、わが生命が融合する。小宇宙である自身の生命の扉が大宇宙に向かって全開し、全宇宙の頂点から一切を広々と見わたすことができる。

たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、「何をやっているんだ!」「先生の指導と違うではないか!」と、はっきりと言いきっていくべきである

今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!

相手のどこに魔が巣くっているのかを見抜いていくことが大切だ。何が、その人の成長を、幸福を妨げているのか、こちらも理解し、相手にもわからせてあげないといけない。
