御書は「信心の背骨」であり、ゆえに確固不動の「人格の背骨」となるのだ。
さらに、「言論戦の柱」である。万人の幸福の大道を開く「希望の経典」であり、「勇気と智慧の源泉」である。
教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。
教学が強くなれば、信心はさらに強くなる。反対に強靱な“背骨”がなければ、いざという時に弱い。
あの戦時中の学会弾圧で、投獄された幹部は次々に退転した。「結局、教学がなかったからだ!」と、戸田城聖先生は憤激された。
蓮祖が、「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)と叱咤された通りの姿であった。
この「まことの時」に強い人は、例外なく、御書を生命に刻んだ人である。