


しかし、口に人類愛を論じながら、身近な周囲の人も大切にできぬ悪しき観念論者であってはならない。現実の労苦もなく、高邁な弁舌に自分が酔っている人は、われ高しと傲っていても、実は最も下劣な人間なのである。

同じ指導でも、生命力のある声とそうでない場合とでは、相手への感応がまったく違う。それは、声の大小ではない。声に表れた一念の強さなのである。

戸田先生は、「科学が二百年くらい発達したら、御本尊のすごさがわかるだろう」と言われていた。だから、勤行・唱題は、人類の「最先端の行動」なんです。

南無妙法蓮華経は、生命蘇生の大良薬であり、ただ一度でも縁すれば、永遠に消えない幸福への因を得ることになる。

御本尊に向かう信心の姿勢が、そのまま御本尊に映り、結果として生活に映し出される。

仏界、菩薩界、梵天、帝釈等の善の生命は唱題によってその輝きを増し、どんどん威光勢力を広げていく。

「信心」を我がいのちに染め抜いた人は強い 「信心」を我がいのちに染め抜いた人は強い。永遠に輝く不壊の生命となる。尽きぬ無限の知恵と力がわいてくる。

思想は「個々人および数百万人の人の活動」を左右するほど巨大な力を持つ。しかも「われわれの思想いかんによって、生活はよくも悪くもなる」
