
池田先生ご指導


信心の厚薄により、また信心が強いか、弱いかによって、幸、不幸が現れてくるのです。

教学を深めることで、疑問が納得に変わり、「そういうことだったのか」と分かれば、さらに強情な祈りとなります。

折伏以外に信心はない。折伏が根幹です。折伏をしなくなっては、学会の生命はありません。

妙法に対して自身を開けば、妙法が自身に開かれるのです。 宇宙の根元の法を、その宇宙の一部である人間の小さな頭でつかむことはできません。

仏法の世界は不思議なものです。本気になってぶつかれば、ちょうど鐘をうてば響くように、必ず、自分の生命に実感としてあらわれるものがあるのです。

折伏がそうです。友への励ましがそうです。妙法を伝えきっていく戦いが、今世の生命を鍛えるのです。

信心の厚薄は、形では決まりません。 例えば、「唱題は何遍しなければならない」というような御文はありません。

あんまり口やかましく言わないで、学会を尊敬し、好きにさせることが根本です。信心は一生なんだから、だんだんわかっていけばいい…
