法華経が「信」を強調する理由を、生命の次元でいえば、法華経の目的は生命の根本的な無知、すなわち「元品の無明」を断ち、「元品の法性」すなわち本来の自己自身を知る智慧に目覚めることにある。この法性を仏性、仏界といってもよいでしょう。
ところが、これは生命の最も深層にあるゆえに、より表層にある理性等では開示できない。
それらを含めた生命の全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、はじめて仏性、仏界は、自身の生命に顕現してくるのです。
妙法に対して自身を開けば、妙法が自身に開かれるのです。
宇宙の根元の法を、その宇宙の一部である人間の小さな頭でつかむことはできません。
その法が自身の生命に顕になるように心身を整える以外にないのです。