
池田先生ご指導


「一心の妙用」(心の不思議な働き)という信心の極意がある。 「信心」の力用次第によってやがて厳然とかなえられていく。

広宣流布とは、一面、変化との戦いである。思いもよらぬ事態に直面することも当然である。それまでのやり方が通用しなくなる場合も多々あるであろう。

私共の日々の実践にあっても強き信心の一念に徹していくならば、一時は苦しこと、嫌なことがあっても深い意味が感じ取れることになっていく。 あっこれはこういう意味だったんだな、と事象の本質を見通していくことができる。

魔は、どこに現れるのか。 「これまで通りで、何とかなるだろう」という「惰性」に現れます。また「今やらなくても、後でやればよい」という「鈍さ」に現れます。そして「自分がやらなくても、誰かがやってくれるだろう」という「他人任せ」に現れます。

虚勢ゆえに、決して心が落ちつくことはない。常に焦っており、常に気持ちが、目まぐるしく動いている。そして、自分の気ままに従わない者に対しては、脅威を感じ、力をもって抑圧し、自由を「奪う。

人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる“現実”であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北があるのだ。いわば、広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。

〈寸鉄〉 2018年11月22日 「微塵つもりて須弥山と なれり」御書。

試練の時こそ題目である。「信心で勝つ!」――そう思い定めれば、勇気がみなぎり、智慧が湧き、無敵の突破力がほとばしる。
