
池田先生ご指導


それを確信して、たたひたぶるに、題目をあげていくことです。 また、人のために唱えた題目であっても、全部、自分にかえってくる。 人のためにも、自分のためにもなる。両方に功徳が出る。

どこまでも信心が根本であり、人間としての力がどうかである。 つまり、「真剣さ」であり、「努力する姿」であり、「戦い続ける執念」である――それがある人かどうかを見抜いていく以外にない。

電波と同じように、目には見えないけれど、生命の「十界」の波長が宇宙にはある。少し、難しい話になるが。 問題はどのチャンネルの波長に合わせるかです。

そのなかにあって精いっぱい努力し、そこに自己の生命を燃焼していく。その人生のなかに、 実は無上の幸福があることを、知っていただきたいのである。

たしかに、われわれにはそれぞれ、大小さまざまな宿命があるかもしれない。また、罪障もあるかもしれない。しかし、どれだけあるか計算することはできない。 だが、この「本因妙」の仏法という大河の流れに、ひとたび「一念」がはいった場合は、ありとあらゆるものを浄化させながら、滔々たる奔流となる。

おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。 相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもか、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。

「勝てると思えば勝てるのだ、自信こそ勝利の要件である」 「絶対に勝つ」という信念、自分の全能力を引き出し、ふだんは眠っている力まで起して実際に「勝つ」ように働かせていくのである。

御書には「強いて説き聞かせよ」とありますが、「強いて入信させよ」などとはどこにも書かれていません。
