
池田先生ご指導


ゆえに何事も、途中でやめてしまえば、それまでの苦労が全部、水の泡である。続けなければならない。 そして、壁にぶつかった時こそ、「壁があるということは、その向こう側は大きく開けていることだ。今、やっと、ここまでたどりついたのだ」

広宣流布の革命にあっても、千人、二千人の友のために働いた人は、永遠に、その人たちの心に残る。永遠に、その方々が眷属となり、諸天善神ともなって守ってくれる。そういう境涯になる。

折伏をすれば、相手の人の生命に内在する悪を滅し、善を生じさせることができる。それは即、自分の生命の悪を滅し、生じさせていくことになります。それを功徳というのです。

妙覚の山の頂に到達できるのだ。見渡すかぎりの世界は、まばゆいばかりである。 周囲も燦たる光にあふれ、自分も黄金の生命となる。 そういう世界に必ず行くのだ。絶対に心配ないよ──そう日蓮大聖人は約束してくださっている。

一生懸命の人は最期は栄える。要領の人はいつか苦しむ。 真剣の二字こそ、人間勝利の直道なり。 原因のない結果はない。

同志に会えば、それだけ、生命の威光勢力が増す。広布に尽くせば、それだけ、自分が諸天善神から守られる。

一生成仏とは、仏界がその人の生命活動・生活・人生の基調となり、仏界があたかも生命の自宅のようになって、他の九界に遊戯し、人生を楽しみ切っていくという状態をさすのである。

苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕(かいな)に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。
