
池田先生ご指導


信心はいよいよの心が大切である。 過去にどれほど強盛な信心をしてきたとしても、現在の一念が惰性になったり、信心が弱くなれば、過去に積んだ福運も次第に消えていってしまう。

わずかな差との戦い、日常の仕事や生活のなかでも、これ以上努力しても無駄だとあきらめたくなるような時がある。

「歓喜の中の大歓喜」とは、わが生命のうちに築き上げた金剛の境涯である。大宇宙を貫く常住不滅の法にのっとった妙法の世界にのみ、永遠の幸福はある。』

私たちの日常の生活にあっても、さまざまな形で信心を破ろうとする魔の働きがあります。 何か問題に直面した時に「なぜ、自分が?」という疑問をいだくのは人の常です。

「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」 いかなる無明をも断破する、信心の利剣の結晶ともいうべき一言であると確信しています。

青春とは何か。 それは、年齢で決まるものではない。精神の瑞々しい躍動感で決まる。 信仰とはなにか。 それは、燃えさかる求道の志で決まる。

今世において一生成仏すれば、三世永遠に「所願満足」の生命の〝大空〟を、悠々と羽ばたいていくことができる。これが仏法の法理であり、生命のリズムなのである。』

宗教の誤りほど恐ろしいものはない。知らずしらずのうちに、生命の奥深く入りこんでいく。しかも、いったん、そこに住所を構えるや、根強く、そこに永住し、その人の清浄な生命をおおいかくす。
