「顔拭いて顔細りけり目借どき」(岸田稚魚)。春の季語の一つに「(蛙の)目借り時」がある。「しきりに眠気をもよおすのは、蛙に目を借りられたため」という民間俗説からきたものとか。ちょっと滑稽な表現は、顔を洗っても、拭いても、しつこくつきまとう“春の眠気”を絶妙に言い当てている▼眠い目を開けることも難しいが、きちんと目を開いて物事を見極めていくことは、さらに難しい。アメリカの思想家ソローは「わたしはまだ目ざめきっている人間に会ったことがない」と▼それは、知的な努力を払い、精神的な生活を送る人のことだ。そして「われわれが目醒めうる日のみが曙けるのだ」と喝破した(神吉三郎訳『森の生活』岩波文庫)▼日蓮大聖人が残された重書の一つに「開目抄」がある。同抄をひもとくと、「正法に目覚めよ!」「正しい生き方に目を開け!」との御本仏の大慈大悲が胸に響いてくる▼私たちも御書のままに、仏法対話に挑みたい。池田先生は「南無妙法蓮華経の『下種』とは、いわば究極の励ましです。人々の生命の底に眠っている勇気の力、希望の力を引き出し、目覚めさせるのです」と教えている。自信と誇りを胸に、目の覚める