戸田先生ご指導

創価学会は、最初から、御本尊を信ずることに導くのである。 したがって、御本尊を教えることは、第二次的なのである。しこうして、信じた後には、信心のあり方を進んで指導するのである。

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学会は指導主義である。指導と教授は違う。教授とは教えることであり、指導とは導くことである。創価学会は、最初から、御本尊を信ずることに導くのである。
したがって、御本尊を教えることは、第二次的なのである。しこうして、信じた後には、信心のあり方を進んで指導するのである。また、信仰即生活であることを指導して
幸福へと導くのであって、指導者とは、一日も早く会員一同が、幸福であらんことを願うべきである。
人生は険難であり、その行路は多難である。なかなか、普通の生命力では押し切っていけない。ゆえに、大指導者として、偉大なる御本尊の功徳を受けさせ、強き生命力を得させるように指導するのである。
されば、学会の指導者は、大御本尊のお姿を心の奥に刻みつけて、一般民衆の指導に当たらなくてはならない。学会の指導者とは、なにをもって一般より高しとしうるのだ有ろうか。いうまでもなく信心の力である。その人自身の持っている才能、財力、社会的位置等ではない。ただただ信仰の道においてのみであることを深く自覚しなければならぬ。
されば、大御本尊のこと以外においては、けんそんであって、決して傲慢(ごうまん)な姿であってはならない。また、上長の位置を誇ることなく、なにごとも命令的であってはならぬ。指導である以上、相手の納得いくようにしてやらねばならぬ。そうして、御本尊の尊さ、功徳の偉大さを十分に納得させねばならぬ。
要するに御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ指導者の自覚を得たものというべきではないか。