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戸田先生ご指導

貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。 すなわち、自己自身の生命現象の発露である。

人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。
貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。
これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠(たま)を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。