池田先生ご指導

色も形もなくして生命を染めてしまうのが宗教なのである。 御本尊を拝することは、法華経に染められることであり、私達凡夫にとっては最高の善縁にあって生命が浄化される故に、浄法である仏界が顕現するのである。

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魂の領域を「心理学的宇宙」と呼んだのは、トインビー博士であったが、まさしく、人間の魂の内面は永劫の過去と未来を包含し、物理的宇宙とも表裏一体となった大宇宙そのものである。

色も形もなくして生命を染めてしまうのが宗教なのである。
御本尊を拝することは、法華経に染められることであり、私達凡夫にとっては最高の善縁にあって生命が浄化される故に、浄法である仏界が顕現するのである。仏界が顕現して不幸になるわけがない。そこに功徳の実証が示されるのである。

一つの御書、御聖訓を徹底して学んでいけば、他の諸御書もわかってくるようになってくる。

煩悩が不幸をもたらす元凶であることは疑いないが、それは同時に、生命の一種のエネルギーでもあるという事実に目をむけなければならないのである。煩悩と対決しようとすればするほど、生命が生きようとするエネルギーの噴出と対決しなければならなくなる。

煩悩が煩悩を増幅させていく原理と同じく、智慧もまた智慧を増幅させていくのである。
予想していた困難や障害も、いざ腹を決めて取り組むと不思議なほど良い方向へ良い方向へと解決していった。

いかに観念的に、仏法を理解しようとしても、仏法の神髄が、決して会得できるものではない。題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。そこに大御本尊の威力、大聖人の仏法の偉大さを、しみじみと自覚できるものである。遠く、釈迦時代に「智慧第一」といわれた舎利 すら「以信得入」といって、信をもって成仏した。信心、実践なき者に、仏法がわかろうはずがないのである。