池田先生ご指導

仏法は、そのすべてを理性でとらえることはできないが、理性のおよぶかぎりにおいては、理性に合致したものでなければならない。懐疑は避けるべきものではなく、対決し、乗り越えるべきものである。

一念随喜の功徳とは、喜んで信心するところに功徳がわくという意味である。いわれたからそれをやろう、これは義務になる。能動的に、日蓮大聖人のおおせどおりに、自分自身のために自分は働いているのだ、修行しているのだ、実践活動をしているのだ。こうした場合には、不満ではない。一念随喜になる。それに伴って功徳はどんどんでてくるのである。


仏法は、そのすべてを理性でとらえることはできないが、理性のおよぶかぎりにおいては、理性に合致したものでなければならない。懐疑は避けるべきものではなく、対決し、乗り越えるべきものである。この試練と超克の年輪を重ねてこそ、大樹のごとく、厳として信仰を貫く、大信者の自己を確立できるのである。まして、この妙法をもって、民衆を救い、仏法哲理を、時代精神、世界精神たらしめようとする私たちにとっては、現代人にいかにして、仏法を理解せしめるかが、もっとも重大な課題である。
人に理解させるためには、まず自分が心の底から理解していなければならないことはとうぜんであろう。人間相互の理解のために、万人が共有する普遍的かち恒常的な場は理性であり、理性のなかに消化され、吸収されたときに、あらゆる立場の違いを越えて、共通んび分かち合えるものとなるのである。
その意味で、世界広布という地涌の菩薩として、私たちが担っている使命と責任を果たしていくためには、有信であるとともに有解でなくてはならないと訴えたい。

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