生活の上に、そして近隣、社会のなかに、信心の実証を示すことは、大変な忍耐と努力を要することです。
生活を離れたところや全く未知の人々の前で、振る舞うほうが自由で気楽であるに違いない。
だが、地域社会や職場といった、いわば、一挙一投足が他者の眼に常時さらされている人間関係の場は厳しい条件に満ちている。
いわば、一つの大きな抵抗力や束縛をもって迫ってくる場といえる。その場において、妙法の功力を実証することは、それだけ仏界の生命力の発現を要するわけだ。
予断を許さぬ現実、予測できない事態が発生する社会のなかで、常にゆうゆうと妙法を根底とした生命力と智慧でもって乗り切っていこうと決意し、発心するなかに、絶えざる生命の連続革命はなされていくのではなかろうか。
妙法の功力を、生活へ、社会へ実証しようとの緊張した一念が、より一層の自己革新をうながし、より深まった自己の境涯が、今度は、生活、社会への確実な実証となって、はねかえっていく。このダイナミックな関係を持続していくなかに、生活即信心、仏法即社会の実証がなされていく。