大御本尊様は向こうにあると思って拝んでおりますが、実はあの三大秘法の御本尊を即南無妙法連華経と唱え、信じたてまつるところのわれらの生命の中にお住みになっていらっしゃるのです。これはありがたい仰せです。この信心をしない者は仏性がかすかにあるようにみえてひとつも働かない利即の凡夫です。
我々は御本尊を拝んだのですから、名字即の位です。名字即の位になりますともうこの中御本尊様が光っているのです。ただし光り方は信心の厚薄によります。電球と同じです。大きい電球は光るし、小さい電球は薄い。さらにこの電球の例でいえば、信心しない者は電球が線につながっていないようなもので、我々は信心したから大御本尊という電灯が就いている。ですから我々の命はこうこうと輝いている。